お侍様 小劇場

    “蚊遣りの香” (お侍 番外編 24 おまけ)
 

 
どこか野暮ったくも懐かしい、されど夏にはつきものな、
蚊遣りの線香を焚いた煙の香と、
真新しい畳の 青々しいいぐさの匂いがする。
ほのかに汗ばむ空気のぬるさ。
しんなりと肌に馴染んだ敷布だったが、
身じろいだ拍子に足先が触れたのは、
まだ乾いていたところのさらさらした感触で。
それが存外 心地よく、
もっとないかと探すよに、
小さく丸めていた身をゆるゆると伸ばす。
ほどいた髪が頬にかかって くすぐったくて、
けれど、払うのにと手を上げるのは何だか億劫で。
これのせいで目が覚めたのかな。
それとも懐かしい匂いのせい?
まだちょっと、ぼんやりとした頭の中をまさぐっておれば、

  ―― どん、どどん、どぉん、と

遠雷のような、遠い線路を夜行列車がゆく音のようでもあるような、
そんな響きが何処からか聞こえた。
蚊遣りの香のせいだろか、
その響きの正体が遠い花火の音だと、すぐさま気がつき。
ウチの近所でそんな催しなんてあったかな。
回覧板やお知らせには 結構眸を通しているし、
昼間でもいつもいる男手として重宝されてるからか、
急なことでも大概、知らせて下さるのにな。
旅行に出るからって遠慮してもらったんだろうか。


  ………旅行。
  出発は いつだっけ。
  準備、出来てたかな。


  「シチ。」


やさしい響きのお声がする。
ああ、勘兵衛様も目を覚まされたか…と、ゆるり、目を開けて。
何かお返事をしなくてはと思ったのと並行して。


  寝床の堅さとか、
  部屋の明るさがいつもと微妙に違うこととかに気がついて。
  壁やカーテンじゃあない、障子なんてものが、
  薄闇の中、微妙に白々と浮いて見えるからだということとか、
  畳に敷いた布団で寝ているのだということとか。
  そういった諸々が、
  仄かな違和感と共にどっと意識の中へ躍り込んで来て。そして、


  「如何した?」


低められると甘くなる、御主のお声に宥められ、

 “あ、そっか。/////////”

ここはもう宿なのだという答えに、すとんと、帰着した。
昼のうちに着いた、緑の多い気持ちのいいところ。
これという名所はないが、
さほど鄙びた土地でもなく、駅からの便利もよくて。
水の匂いがしたのは清流が間近だったから…のはずなのだが、

 “…あれ? 違ったか? 海が近いんだったかな?”

これが学生時分であったなら、
海なら泳がねばと運ぶから 曖昧になんてならぬものだろが、
波打ち際を歩くような楽しみ方をしたくて勘兵衛様が選んだ海ならば、
静かなことを最優先にしているはず。
だから、海だか河だかどっちだか思い出せないのかなぁ、などと。
少々、いや かなりしらじらしいことを、
誰に聞かすでもない胸の裡
(うち)にて紡いだ七郎次だったのは、

 “〜〜〜。/////////”

何のかんのと言うより判りやすい感触で、
身体の気だるさが 早寝の理由を物語っていたからに他ならない。

 “う〜〜〜。////////”

この離れまでを案内してくれた仲居さんの、
立ち居物腰が随分と洗練されていたことを思い出し、
安っぽい宿じゃなかろうにと思うと同時、
だったら尚更に…変に思われてはないだろかと、
居ても立ってもいられなくなる。
花火の音があんなにするということは、
まだそんなにも遅い時間じゃあない筈だろに。
事後に一眠りできたほども早々と……。

 “〜〜〜。/////////”

部屋に籠もって、男二人で一体何を…と、
店の人から揶揄憶測されてはないか、
こそりと嘲笑なぞされてはないだろかと、
それを思うとつい、かあと顔が熱くもなったが、

 「案ずることはない。」

頭の上からの声がして、
大きな手が、やや不器用そうに そおっとそおっと、
髪を頭を撫でてくださり、

 「此処は密談の場に多く使われる宿として、こそりと有名な処での。」

一般のいわゆる観光客が好むような、
土地の料理だの至れり尽くせりの接待だのよりも、
放っておいてもらうことをこそ求めているような。
此処に来たことさえ誰にも知られたくないとするような層が、
お忍びで使うことをこそ前提にしている宿なのだそうで。
言えば それなり以上の格の料理なりお世話なりという饗応もあるが、
それはあくまでも二の次。

 「都心の一流ホテルでも間に合いませぬか?」

外部からの干渉という騒音をシャットアウトすることへは、
セキュリティも含めて随分と手際もいいと思いますがと暗に聞けば、

 「そんなレベルの話ではない。」

例えば…事前に会っていてはまずい政治家の密談だとか、
海外にいる筈の重鎮のお忍び旅行だとかに使われるのだよと、
そんな次元のお話を、
あっさり口に出来る立場のお人なの、
こんな時にまで改めて思い知らされる。

 “そういえば…。”

表はさして間口もない、ともすれば料亭風の作り。
座敷らしい部屋のあった棟を通り過ぎ、奥へ奥へ。
随分と廊下を進み、どれほど深いのかと思った辺りで、
いきなり視界が開けて広々とした庭園に出たのへと、

 “変わった作りだなと思いはしたのだったっけ。///////”

部屋の整いようは、
清潔と馴染みのよさがしのぎを削り合うかのごとくに優れていたし、
後に勘兵衛が帳場へ連絡を入れると、
淑やかな気配と共に訪のうた二人の仲居が、
手の込んだ膳を運んで来た行き届きようといい、
押しつけがましくないという点でも超一流の、
お忍びの宿であったらしい。
無論、今宵は…自分たちはそうまで忍んでの身ではなし、

 “だからこそ 黙っておられたのだろうな。”

夕食は別の店にて ちょっぴり早くに取ったばかりで。
此処は静かで、いい風も入るから、今宵はゆっくりしようぞと。
そんな風に仰せだったのへ、
何だか久方ぶりですねと、含羞みながらも頷いて。
代わる代わるで風呂を浴び、
後から入った七郎次を待ち受けていたのは、
そのまま抱きすくめての手足の侭を封じた、この精悍な匂いと熱と。

 『な…。////////』

どんな宿だか知らなかったから、
声を出せば人が来るかと思うと身がすくみ。
何が何やら判らぬまま、青々とした畳の上に、
風呂上りの身を組み伏せられてしまったのだけれど。

 “〜〜〜。////////”

いろいろと曖昧なままだったものが、
やっと全ての顛末がつながって。

 “相変わらずにマイペースの、憎らしいお人なのだから。”

されど、そうでもしないと心から寛がぬ七郎次だからと、
こたびは敢えて独善で動いて振る舞って、
我を張り、翻弄することに徹したらしき勘兵衛へ。
時には凭れた方が喜んで下さるお人よと、
こちらも今頃になって思い出している。

 “…子供みたいだな。”

胸のうちでの独り言。
よって、どちらが、とは敢えて言わず。
目の前に横たわる温みへ、
こちらから じりと身を進めての擦り寄って、
浴衣越しの温み、懐ろ深くへ頬を寄せる。
浅黒い肌にその隆起の陰影が浮かぶ、
楯のように鎧のように屈強な肢体が、
今はたいそう和んでの、ゆったりとしておいで。

 「打ち上げ花火、ですか。」
 「らしいな。ついさっき、上がり始めた。」

どん、どん、という低い響きと、
その合間には パパッパタパタ…っという弾けるような高い音。
様々な仕様のが入り混じっているらしく。
それが音だけでも聞き分けられる。

  ……と、

 「勘兵衛様?」

不意に、何も言わぬままに身を起こされる気配。
触れていた身の、筋骨の動きでそれを察し、
いかがされたかと掛けた声へ。
追うなということか、
頼もしい腕が 軽く抱き寄せてのあやして下さってから、
そのままするりとご自分だけ、肌掛けの下から出てゆかれ。
歩みを運んだ先、暗い部屋に青白く浮かぶ障子戸を、
音もないまま、肩幅もないほど、すらりと開けて下されば、

 「………あ。」

大窓の向こう、
逆シルエットになっている、大松の枝よりも随分と上で、
夏の夜空を華やかに彩るは。
黄味がかった白や赤、ところどころに青や緑を従えて、
遠い天穹に開いては広がる、華火線の描く大輪の花々の群れ。
サッシを開けて網戸に入れ替えれば、音も多少は間近に聞こえ、

 「火薬の匂いや振動までもとは いかぬがの。」

人の多いところには辟易していての安息の旅だという、
自分の我儘をつい優先してのことだと。
これで勘弁しておくれと、目許を細めて笑って見せて、
そのような持ってきようをなさる御主だが。
人のにぎわいが欲しいほどには、自分だってもう青くもなし、
それに…人目があると、
従者の立ち位置から頑として上がって来ない七郎次なの、
いやと言うほど知っていた勘兵衛だったから、
それでの気遣いだって あったに違いなく。

 「…勘兵衛様。」
 「んん?」

如何したかと、こちらを見遣って来られた御主の。
彫が深くて精悍な風貌からは意外なほど、
繊細な線に縁取られた横顔が、
妙に穏やかなのが、何故だろうか焦れったい。

 「…音で、声が届きませぬ。」

これでさえ精一杯で言うたのに、
ならば、声を張ればよかろうと、
いつになく つや消しなことを言い返し、
障子の傍らからなかなか戻って下さらぬ。

 「〜。////////」

もどかしさから とうとう、
腕をついての寝床で身を起こせば、それでやっと足音が立って。
あちこちが萎えたままにて、力が入らぬ難儀を見かねたように、
すぐ傍らに座り直して、凭れなさいと延べられた手へ、
今宵は素直にしたがって。
胡座をかいての割り座にされてた脚の間へ、
引っ張り上げられての落ち着けば。
自分よりも一回りは大きな肩口からこぼれ来るほど伸ばされた、
深色の豊かな髪が、頬にあたってくすぐったくて。
これも着せていただいたものか、
随分とゆるんでいた浴衣の衿、
直して下さった手の熱さが愛しくて。それで、


  「…花火はいいのか?」
  「観ております。」
  「……そうか。」


戻りかけたのを捕まえた御主の手。
相変わらずに大きくて、持ち重りがするそれを、
そぉっと捕まえた蝶でも愛でるかのように、
少し強引にも、指を開かして伏せさせたは、
自分の胸元、浴衣の下の鎖骨のはずれ、
さらりとした肌の上へと。


  ―― ああやっぱり。こちらの肌より少ぉし熱い


焦らされたお返しにと、誘ったわけじゃあなかったけれど。
こちらから進んでというのが、滅多にないことなのは否めなくって。
それで何かしら、希少な蠱惑の香でもしたものか、
それとも…ただの甘えと思うてくださったからだろか。
肩に散る金絲、白や銀に染め上げる花火が終わるまでの間は、
ずっと動かずのいい子でいて下さった勘兵衛様で。


  遠い夜空には、火華の彩りと響き。
  すぐの間近には、静謐が満ち、
  蚊遣りの匂いとそれから、
  浴衣をへだてただけの、愛しいお人の素肌の温み。


雄々しき肉置き
(ししおき)の身じろぎ、肌の熱。
間近になったお顔、見上げるのが何故だろか気恥ずかしくて。
視野の中に、ほんの少ぉしかかっている顎先のお髭や、
深くくびれた喉元なんぞ、
それだって色香に満ちているものを、
目許を細めてのうっとり見やっておったれば。
凭れていた肩、ゆるりと引き寄せ、
こちらの髪へ口許寄せて。
御主がこそりと、声を低めて囁かれたのが。


  「久蔵には…。」

    はい?

  「此処のこと、黙っておれよ?」

    どうしてです?

  「お主とこうして籠もる場の一つくらい、あってもよかろう。」

    〜〜〜っ。//////////



   残暑、お見舞い申し上げます。






  〜Fine〜  08.8.20.


  *スカイマーク・スタジアムの花火ナイトは、
   ウチにまで打ち上げ花火の音が響いて来ますほど。
   分譲住宅が建て込む前なら、近所から遠目に見えもしたそうで。
   神戸港の年越しの花火も見えなくなって久しいですものね。
   何かちょっと損した気分だなぁ。

   ……じゃなくって。

   昨夜も どどんどんと、音が響いて来ましたので、
   もしや…とチャンネルを変えれば、
   運よくオリックス戦の中継が入ってて、
   花火の方もテレビ画面で見ることが出来まして♪
   でも、音だけでも風情があっていいなとばかり、
   もにゅもにゅ考えてたら、こんなん出来ました次第ですvv
   (そう、こっちが先で 表のお話は後から書きました。)

   何を観ても聞いても感じても、
   やらしいことばっか考えてしまう脳内の萌え回路。
   秋までには何とかしたいもんです、はい。
   (え? このままでもいい? お客さん、そりゃまた剛毅な…。)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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